スマホで”朝生”第3弾~AI時代の幸せな生き方~の感想と考察(上)

アメブロより引越し

初投稿2017年3月25日

最終更新2018年5月21日

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2017年3月21日AbemaTV放送のスマホで”朝生”第3弾について、興味関心を持った点を中心に感想と考察を述べてみたい。


落合陽一(筑波大学助教・メディアアーティスト)と堀江貴文SNS media&consulting(株)ファウンダー)は時折、最先端の更に先の世界のことを話していたように思われる。その世界観は期待感も抱かせるが、同時に驚くべき変化に不安も覚える。それに対して牧野正幸(ワークスアプリケーションズ代表取締役CEO)は現在実際にAI(人工知能)の技術を用いてビジネスを展開している立場から、そのような未来、例えばディープラーニングを用いてディープラーニングのコード自体を自動生成するような技術が本当に実現できるのか、実際にプログラムコードとして書けるのかという疑問を呈す。牧野によればそれは現段階では実現していないし、時間も掛かるだろうという見解であった。落合、堀江両者が語る世界観が極めて先進的であったため、他のパネリストが付いて行けてなかったように見えた。当然私もである。だから、牧野の発言には安堵感を与えるものがあった。


しかし、この先の世界について考えておくことも大事なことだと思う。私はプログラミングにおいては触れた程度の経験しかないのだが、プログラムはこうしたい、ああしたいという目標があっても、いざコードとして書こうとするととても難しいものである。実現したい目標についての深い理解と洞察、それに発想力が求められる。しかし、一旦着想が得られ、ブレイクスルー(技術革新)が起きた後は急速に開発が進展する。そして、そのブレイクスルーはいつどこで起きるのか予測するのは困難だろう。したがって、やはり落合、堀江両者が考えているような世界について今から想像し、想定しておくことはやはり必要なのだろう。


専門家と宗教問題~技術者倫理の醸成~


以前どこかで見聞きしたのだが、一口に数学といってもその世界は様々な分野に分かれており、同じ数学者同士であっても異なる分野の最先端の研究内容はよく理解できないのだという。つまり、その最先端にいる研究者の言うことを信じるほかないのである。これはもはや宗教と同じだというのだ。仮に私が人生に迷っていて、どうしたらいいか分からないときに、人生を悟ったという人物が現れ、「この壺を買えば幸せになれますよ。」と言ってきたら、私はそれを信じるしかないのである。しかし、また別の人生を悟ったという人物が現れ、「この絵画を買えば幸せになれますよ。」と言ってきたらどうだろうか。私はどちらを信じればいいのか分からなくなってしまう。この場合、とりあえず壺派と絵画派でどちらを買ったら幸せになれるか議論をしてもらって、その様子を観察してから判断するのが1つの方法ではないかと思う。

※2017年3月25日追記:この問題は経済学でいう「情報の非対称性」に通じる。


回りくどくなったが、つまり専門家が複数いること、その専門家集団の中に相互チェックの仕組みを持っていることが大事である。最近の例としては、科学者の代表機関である日本学術会議が大学などの研究機関は軍事研究に携わるべきではないとする声明案を委員会でまとめた(2017年3月23日 朝日新聞 社説より)ことが挙げられる。また、人工知能に関する様々なルール作りも始まっている。上記同新聞、同日付、文化・文芸欄:AI開発 探るルールでは、東京大学で13~14日に開かれた、総務省主催の国際シンポジウム「AIネットワーク社会推進フォーラム」について取り上げている。

締めくくりに人工知能研究者の堀浩一・東大教授が発言した。「最も重要なのは、オープンな対話を異なる立場の人々と続けていくことだ」

2017年3月23日 朝日新聞より

少々大げさだが今後の技術者が、戦争に動員されたかつての科学者や、戦争へと突き進んでいくことになった帝国軍のようになってしまうことが起きないように、技術者倫理の醸成に努めて欲しいと思う。また、市民の側もこういった議論に関心を寄せ、あるいは参加する必要があるのではないかと感じた。

とかく日本人は権威主義的傾向が強く、専門家を妄信しがちであると感じる。自分もそうである。メディアでは専門家の発言が重宝される。一方で報道番組に出演していた(自称)経済の専門家の経歴詐称問題や、世界で4点目となる貴重な茶碗の発見に他の専門家から疑義が呈されたという一件もあった。やはり専門家の言うことをただ鵜呑みにするのではなく、様々な視点から見つめることが重要である。