スマホで”朝生”第3弾~AI時代の幸せな生き方~の感想と考察(中)

アメブロより引越し

初投稿2017年3月28日

最終更新2018年5月21日

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AI時代の教育~モチベーション格差~


今回の議論の中心的なキーワードとして、モチベーション、またはモチベーション格差が挙げられる。落合、堀江両者によると、いずれ一般の人でもAIを簡単に使いこなせるような時代になった時、大事なのは行動に移すことであるという。つまり、やるかやらないかで大きな差が生まれるというのである。収入の格差よりも、このモチベーションの格差の方がより重要な問題になるだろうという指摘は新鮮な印象があった。


そして、両者は学力至上主義で画一的な現行の教育システムを批判し、そのようなシステムでは子どもたちのモチベーションは下がる一方なのではないかと指摘していた。つまり型に嵌めるような教育では積極的な人間には育たないだろうというのである。落合は国語や算数は学ぶ必要がないという主旨の発言もしていた。それに対し藤原和博奈良市立一条高校校長・著述家)は例えば自分で積極的に検索して調べる際にも、適切な検索ワードを組み合わせる必要があり、ある程度の知識や経験が必要であるという理由を挙げて反論していた。


これは推察だが、落合、堀江両者は学生時代に現在の教育システムに強い不満を持っていたのかもしれない。親や教師や大人たちに枠に収まるように強制されていたのかもしれない。堀江は中学生の時、熱中していたPCを母親に勝手に捨てられ、翌朝ゴミ捨て場から拾ってきたというエピソードを明かしていた。やや記憶が曖昧なのだが、教育学者の齋藤孝明治大学文学部教授は『スラムダンクな友情論』(文春文庫,2002)の中で、教育とは本来アイデンティティを育むものであるといった主旨のことを述べていたと記憶している。堀江は小学生時代に私立中学への進学を薦めてくれたある教師との出会いについて度々言及しているが、そういった、子どもの存在そのものを認めてくれる人との出会いがモチベーションの高い積極的な人間に育つためには重要なのではないかと思う。また、その為には親や教師、周囲の大人たち、延いては社会全体の意識が変わる必要があるだろう。君はそのままでいいんだ、君は君のままでいいんだと言ってくれる人が必要なのである。


モチベーションの低い人はどうすればいいのか


モチベーションという中心的なテーマが提示された後、やや不安気な表情に変わった雨宮処凛(作家・社会運動家)が言うように、ではモチベーションの低い人はどうすればいいのか。司会の田原総一朗(ジャーナリスト)は、マイケル・サンデルが行ったような答えのない議論をさせると、自分で考えるし、モチベーションも上がると話していた。藤原の経験によれば、学校で何らかの話し合いの場を設けたとしても、中心となって話す生徒はごく一部であった。そこで話し合いの前にスマートフォンでクラス全員の意見を集めてみたところ、普段大人しい生徒(モチベーションが低そうに感じられる生徒)でもきちんと自分の意見を持っていることが分かったという。更に藤原はすべての意見をスクリーンに表示するというのだが、確かにこのような工夫をすれば全員が参加しやすくなる。また、小西洋之民進党参議院議員)はマイケル・サンデルの議論に触れて、議論においては多様な意見を認め、それらを上手く整理して導いていく教師の役割が必要となるだろうと述べている。


さて、ここまでの記事では番組内の話し合い自体を「議論」という言葉で表現してきたが、朝生は討論番組と銘打っているので、正確には「討論」である。討論は互いの意見の正しさを論じ、戦わせるものである。議論は討論とほぼ同じだが、何らかの組織や会議で行われ、議決権などによる採択を伴うことも多いように思われる。


2020年度(小学校)から実施予定の新学習指導要領では、「主体的・対話的で深い学び」という方向性が打ち出されている。ここでは討論ではなく「対話」である。対話は必ずしも正しさや答えを前提とせず、多様な意見を認めながら話し合うことである。それにより共通理解をつくり上げたり、他者の考えを知ることで自分の考えを広げたりできる利点がある。唯でさえ多くの負担が教師にのし掛かっている現状において、実効性のある授業を行うためには新しい授業形態の先行実績を増やしていくことが欠かせない。それでも私個人としては、例えば現象学における対話の可能性などにも触れてみると、このような指導要領の方向性は望ましいと思えてくる。生徒全員が積極的に参加でき、一人ひとりの発言が容認され、自己肯定感や自尊心が育つような授業を期待したい。