ハンソル氏に平和を期待するのは無責任というより身勝手

初投稿2017年03月09日 最終更新2018年05月29日

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キム・ハンソル氏と見られる青年の動画がYoutubeにアップロードされた。テレビの情報番組に出演していた一部の専門家からは、北朝鮮の現体制への挑発と受け取られかねないといった趣旨の発言も聞かれた。自分はここ最近の彼の報道を見て、ちょっとしたファンになった。テレビで短い映像をいくつか見た程度で、実にミーハーであるが、自然体で穏やかであり、自分に自信を持っていることが感じられる。表情が安定しており、自分も他者も認められる人という印象を受ける。いつの間にか彼に今の北朝鮮を変えて欲しいと思うようになった。少し大げさだが世界の平和の為に立ち上がって欲しいと思った。


しかし、マインドフルネスをした後にその願望や期待は無責任なのではないかという考えがふと浮かんできた。場合によっては今以上に命懸けにもなり得る行動を他者に求めながら”自分はその様子をテレビで見ています。”というのだから。マインドフルネスをする前に気付くべきだ。


アドラー心理学的に言えば、他者に期待しないこと、課題を分けること、他人の課題に土足で踏み込まないこと、ということになろうか。自分はアドラー心理学についてもミーハーなのだが、ここでの自分以外の人は自分と何らかの関係性を持つことが想定されているように感じる。特に課題の部分に関しては、”分ける”ということは何らかの重複があるのだし、”踏み込む”という行為はコミュニケーション(干渉かもしれない)である。自分も含め彼に期待する人たちは彼と何らかの関係性を持っていると言っていいのだろうか。


自分はメディアを通して彼を見ているうちに、いつの間にか関係性があると勝手に妄想しているような気がする。彼がもし今後何もしないで平和に暮らしていたとしたら、少しがっかりしてしまいそうな自分がいることが恐ろしい。それはまるで、ファンとまでは言えないまでも好きな芸能人が結婚したときのような感覚に似ている気がする。


責任について考えることは難しい。これはCSR(企業の社会的責任)の考え方だが、責任の前提として、責任はステークホルダー間で考えられている。つまり何らかの関係性(この場合利害関係)が想定されている。


自分は現時点でほぼ無関係の彼に対して、勝手に妄想をつくり上げ、勝手に願望を抱き、期待していた。これは無責任というより身勝手だ。彼は金一族とはいえ、まだ何者でもない一人の青年だ。