現象学について調べたことや考えたことを整理する(1)

最近、現象学の考え方に興味がある。Wikipediaによれば現象学は哲学的学問の1つであり、ひとくちに現象学といっても、その意味するところは哲学者によって様々のようだ。自分が興味あるのはフッサールだろうか。

 

現象学について比較的分かりやすく解説しているページとして、哲学者の竹田青嗣西研による現象学の刷新をめざして という対談、また心理・哲学分野の著述家・評論家である山竹伸二による解説がある。

 

現象学について、自分なりにまとめてみようと思ったのだが、これがなかなか難しい。なんとなく頭の中でイメージはできるが、いざそれを言葉にしようと思うとうまく紡ぎ出せない。

 

まず、物(例えばリンゴ)を目で見て認識するということについて考えてみる。光がリンゴに当たり、反射した光が目の水晶体(レンズ)を通り、網膜(スクリーン)に映し出される。その像は電気信号に変換され、視神経を通って脳の視覚野で情報処理され、脳で像を復元または再構成し、(恐らく記憶との照合なども入って)リンゴとして知覚している。

 

このとき、普通私たちはリンゴの客観的実在を疑わない。しかし、現象学では一旦その思い込みを保留(エポケー)して、リンゴが本当にそこに実在しているかどうかを疑う。なぜならそのリンゴはあくまで脳が知覚したリンゴに過ぎないからである。その上で、なぜリンゴが客観的に実在するという思い込み(確信)が成り立つのか、その条件が何であるかを現象学では問う。竹田はこの条件のことを「確信成立の条件」と呼んでいる。

 

確信成立の条件:個的直観

先ほどのリンゴの例のように具体的な物の知覚、つまり外部世界が客観的に存在していると確信できる条件について考えてみる。どのような条件があれば外部世界は客観的に存在していると確信できるだろうか。

 

その1つとして、意識によって変更できないという条件が考えられる。これを個的直観という。頭の中にイメージしたリンゴであれば、形を変えたり色を変えたりできる。しかし、目で見て脳が知覚したそのリンゴは意識の力で変更することはできない。知覚された物が意識によって変更できないという条件のとき、その物が客観的に実在しているという確信が成立する。

 

さて、現象学は具体的な事物の認識から始まって、抽象的な概念にも発展していく。それを一度にまとめるのは困難だ。「あまり大作は用心した方がいいね!」というゲーテの言葉を思い出したので、またの機会にしよう。

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初投稿2017年3月5日 最終更新2018年6月16日